ナノミリ進化論®️

30代後半の3児の父です。気づけば競馬暦も20年となり競馬の歴史だけは詳しくなりました。心理学や脳科学についても勉強しておりそれについても発信しております。誰かに何かの約に立つブログになるよう日々精進していますのでよろしくお願いします。

努力に無駄は存在するのか?

自分にあった生き方は、自分で見つけるしかありません。 さくらもり(@sakura3_dishman)です。 

 

本日もブログに訪問いただきありがとうございます。 

 

今日は、競馬の事ではない記事を書こうと思います。

 

最近というよりも前からよくツイッターなどでも見かける

 

「無駄な努力をするな」

 

という文言。

そもそも努力に無駄は存在するのか?という部分は非常に気になるところ。

この議論をすれば、個々の価値観が大きく影響するので意見は割れるでしょうね。

 

まず、俺の結論は…

 

「無駄な努力はない

 

と思っています。

 

努力という意味付けによるとも思いますが、少なくとも俺は、努力ってそれにどれだけの時間をかけて考えられたか行えたかだと思うんですよ。

 

今の時代は、いかに効率良く生きていけるか?どれだけ最短でゴールに辿りつけるか?という時代だけに時間をかけてやっていくという行為が無駄という括りにされているのかなと思ったりもしている。

 

そりゃあなんでも時間をかければそれが努力かって聞かれればそうとは言わないし思わない。しかし、努力したと言えるレベルって質が高くてもある程度の時間はやはり必要になると思っている。

 

どんな事も努力が確実に必要になる。努力なしで出来る人間なんてほとんどいないだろう。

天才と言われるイチローですら「人よりも少し多く練習する事が結果につながる」と言っている。イチローよりも結果を出せない人が大半な中で「無駄な努力」という言葉で努力をせずに見切るだけのスピードをアップさせるのはどうなのだろうか?

 

努力が無駄か無駄じゃないかというのは、努力を重ねた人だけが時間の経過とともにジャッジできる事で今やっている事が無駄か無駄ではないかなんてそんなのは誰にもわからないし「努力に無駄なし派」の俺からすれば必ずその努力は人生において必要になる時が来る。それもまったく関係のなさそうな場面で。

 

せめて努力すると決めたなら早計な判断で見切るのはやめてやるだけやってほしいと俺は思う。その後、それを止めるのは別に構わない。しかし、SNSで騒がれている「無駄な努力をするな」という言葉を鵜呑みにしてやっている事を止めるような事はしてほしくない。止める理由にしないでほしい。

 

 

努力に意味をつけるのは、やった本人。

つまり、あなただ。

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努力は人生に点を打つ。点を打たなければ線は繋がらない。そう俺は考えている。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

「簡単に人を区別するのは、頭の悪い証拠。人の可能性は誰にも計れない。」

この言葉で本日は閉めさせていただきます。さくらもり(@sakura3_dishman)でした。